陰陽五行説とは
陰陽五行説とは
四柱推命の考え方の礎となっている「陰陽五行説」についてまとめてみようと思います。
陰陽五行説は、万物は陰陽のエネルギーを帯びた5つの元素により構成され、バランスの上に成り立っているという東洋思想です。ホロスコープなど西洋ですと元素は4つです。
1つだけ突出しててもうまく回らない。
世界はちゃんとバランスよく、お互いを活かしあい、時に制しあって全体的に完全なバランスの取れた状態であるということ。大きな視点でみれば、人が1人1人こんなにいろいろ違うのも、ただただバランスをとっているだけという解釈ができます。そして、たとえ小さなものであっても意味のないことはなく、互いに影響力を持っているといえます。
気候変動のニュースなどを見ていると本当にそうだなぁと感じますよね。
陰陽説
万物はすべて陰と陽の相対する2つのエネルギーを帯びているという東洋思想。
陰(−)と陽(+)は相反するものですが、陽があるから陰が成り立ち、陰があるから陽が成り立つという関係であり、どちらかが欠けては存在できない関係です。また、陰極まって陽に転じる、と言いますが、陰がいくところまでいくとそこから一気に陽へ転換する、というサイクルを持つものでもあります。
そして、陰の中に陽があり、陽の中には陰もあり、100%ではないよ、ということも表しています。
エネルギーは常に流動的であり、ここからここまでが陰です、陽です、というようなハッキリした境目があるわけではありません。全てが絶妙に影響し合いながら、シーソーのようにバランスをとりながら、円を描いているのです。
五行説
万物を構成する元素(エレメント)は木・火・土・金・水 の5つで構成されており、様々な事象もまた、すべてこの5つにあてはめて構成されているという考え方です。元素はお互いに相生と相剋の関係を持ち、バランスを保ちながら循環しています。
例えば、火ばかり強くなっては大火事ですし、それを打ち消すために水がちゃんと存在してくれています。
木がどんどん伸びて伸び放題で世界樹みたいになったら(…それはそれで素敵だし見てみたいけども)人は住みにくくなるかもしれませんし、養分を吸われた大地が痩せて他の作物が育ちにくくなるかもしれません。そんな時、金属が刀になり木を切り抑制してくれます。って考えていくと、ほとほとうまくできているなぁと思います。
◆相生(そうしょう)
相手を生み出していく関係。
木は燃えて火を生み
火は灰をもって土を養う
その土から金が生まれ
金は冷やされて表面に水を生む
水は木を養い育てる
木は燃えて…に戻るというサイクル
◆相剋(そうこく)
相手を克す(弱める、滅ぼす)関係
木は土に根を張り土を痩せさせる
火は金を溶かす
土は水を堰き止め、濁らせる
金は刃物となり木を切る
水は火を消す
良し悪しのない、ただただ、バランス・サイクル。
オチのない世界。
無駄なものは一つとしてなく、全ての存在があってこそ成り立つこの陰陽五行の世界では
人がたった一人で、個人で完全なバランスをとろうとするのは、とても不自然なことです。
もちろん、その人の存在自体も生まれたままで完全なのですが、なんだかんだと一人では生きられません。必然的に他者との関わりが生まれ、その単位が大きくなりますから、その中でバランスがとれるようになっているのです。
ですから、そこで自分一人だけで完全になろうとしなくて良いということになるのです。
ではどのようにすればよいのか?
自分が凹んでいるところは誰かに埋めて貰えばいいんです。
何でもなるべくきちんと人に頼らないでできるようになりなさい、と育てられがちですが、
なんでも自分で背負ってしまうと人生ろくなことになりません。
それぞれが自分の得意なことをしたら
どうなるでしょうか?
揉め事ばかり起こるでしょうか?
広い視点で考えてみるとどうでしょうか?
知恵と時間がちょっとかかるかもしれませんが、
自然の法則にのっとっているんだから、どうにかなりそうですよね。
パズルのピースがはまっていくようになるでしょう。
まずは、身近な単位の中で見てみると面白いですよ。
家族の中でも、必ずバランスをとりあっているものです。
誰がどんなふうにバランスを取り合っているか観察してみると面白いかもしれません。
実際に、国内のある工場で、作業工程のうち、自分が好きだったり得意、苦でない工程を選んで、自分の都合の良い時間帯に出勤してよいという斬新な勤務形態を採用したところ、それがうまくハマり、成功。むしろ効率も上がっているというところもあるそうです。
人だけでなく、物事、起こることも陰陽です。
一方の側面だけみることはなかなか難しいです。
見ないふりはできるのですが、両方みてしまった方が話が早くなります。
片方だけ見ていてはバランスがとれなくなってしまうからです。
バランスをとろうとして自分に負荷がかかることもあるでしょうし、結局またそこを補う事象が起こって、結局避けていたけど見つめざるを得ない流れになるということを繰り返すこともあります。
観測する、という視点が大切です。
そこで何かを捏ね繰り返して状況を良くしないといけないわけでは必ずしもありません。
良し悪しではないからです。
ただ、ちゃんと見る、観測する。
物事や人を通して反応する自分の中の陰陽を見ていく、そんな表現が合っているように思います。
そうすると今度は、五行のバランスのように、物事や人の違う性質同士がどう噛み合っていたのか、それを通して自分がどんな気づきを得て、また楽になっていくのかと、視線の先がより良い未来へとむいていくのではないでしょうか。
東洋思想ならではの「オチのない世界」だなぁとつくづく思います。
でもこれこそ、人としてこの地球を生きる醍醐味だと思うのです。
人間ってヘンタイですね。